に立派な愉快な火山である。四辺の温和な山川の中に神代の巨人のごとく伝説の英雄のごとく立ちはだかっている。富士が女性ならばこれは男性である。苦味もあれば渋味もある。誠に天晴《あっぱれ》な大和男児の姿である。この美しい姿を眺めながら妙な夢のような事を考えてみるのであった。
 誰かも云ったように、砂漠と苦海の外には何もない荒涼|落莫《らくばく》たるユダヤの地から必然的に一神教が生れた。しかし山川の美に富む西欧諸国に入り込んだ基督《キリスト》教は、表面は一神でありながら内実はいつの間にか多神教に変化した。同時にユダヤ人の後裔《こうえい》にとっての一つの神なるエホバは自ずから姿を変えて、やがてドルになりマルクになった。その後裔の一人であったマルクスには、「経済」という唯一の見地よりしか人間の世界を展望することが出来なかった。それで彼の一神教的哲学は茫漠たるロシアの単調の原野の民には誠に恰好なものであり、満洲や支那の平野に極めてふさわしいものでなければならない。彼等の国には火山などは一つもないのである。これに反してエトナ、ヴェスヴィオ、ストロンボリ以下多数の火山を有する南欧イタリアの国土には当然に
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