米を食つて育つて居ながらかういふ事をいふのはすまないが、水田といふものゝ景色は何故か私には陰氣な不健康な感じを與へる。又いくら廣くても其の面積は吾々の下駄ばきの足を容れる事を許さない爲に、なんとなく行き詰まつた窮屈な感じを與へるが、畑地ならば實際何處でも歩いて行けば行かれると思ふだけでも自由な舒《の》びやかな氣がする。
葱や大根が到處に青々として、麥はまだ僅に芽を出した處がある位であつた。此間迄青かつた筈の芋の葉は數日來の霜に凍てゝすつかりうだつたやうになつたのが一つ/\丁寧に結び束ねてあつた。
成増で下りて停車場の近くをあてもなく歩いた。とある谷を下つた處で、曲りくねつた道路と、其の道傍に榛の木が三四本眞黄に染まつたのを主題にして、稍複雜な地形に起伏する色々の畑地を畫布の中へ取り入れた。
歸りに汽車の窓から見た景色は往きとは見違へる程に一層美しかつた。凡てのものが夕日を浴びて輝いて居る中にも、分けて谷の西向の斜面の土の色が名状の出來ない美しいものに見えた。線路に沿うたとある森影から青い洋服を着て、ミレーの種蒔く男の着て居るやうな帽子をかぶつた若者が、一疋の飴色の小牛を迫うて出て
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