十月十八日、火曜。午後に子供を一人つれて、日暮里の新開町を通つて町はづれに出た。戰爭の爲に出來たらしい小工場が到處に小規模な生産をやつて居る。兎も角も自分の子供の時にはみんな貴重な舶來物であつた品物が、ちやんと此處等のこんな見窄《みすぼ》らしい工場で出來て綺麗なラベルなどを貼られて市場に出てくるのであらう。其れだけでも日本がえらくなつたには相違ない。此れでもし世界中の他の國が昔の儘に「足踏」をして、日本の追付くのを待つて居てくれたら嘸いいだらう。
町はづれに近く青いペンキ塗りの新築が目に付いた。それを主題にしたスケッチを一枚描かうと思つて適當な場所を搜して居ると、ちやんとした本物の畫學生らしいのが二人、同じ「青い家」を取入れて八號位の畫布を描いて居るのに出合つた。一人は近景に黍の行列を入れ一人は溝に架つた板橋を使つて居た。一人のは赤黒く一人のは著しく黄色つぽい調子が目に付いた。
私は少し行き過ぎて、深い掘割溝の崖の縁に坐つて溝渠と道路のパースペクチーヴを眞中に入れたのを描いた。近處の子供等が入り代り何人となく覗きに來た。此邊の子供には大分專門的の知識があつて「チューブ」だの「
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