れたのを描いた。近所の子供らが入り代わり何人となくのぞきに来た。このへんの子供にはだいぶ専門的の知識があって「チューブ」だの「パレット」だのという言葉を言っているのが聞こえた。そして浦和へんの子供とはすべての質が違っていた。
 帰りに、腰に敷いていた大きな布切れのちりを払おうとした拍子に取り落とした。それが溝の崖のずっと下のほうに引っかかって容易には取り上げる事ができないので、そのままにして帰った。この布切れが今でもやっぱり引っかかっているかもしれない。この日かいた絵を見ると、絵の下のほうにこの布切れがぶら下がっているような気がしてしかたがない。人殺しをした人間のある場合の心持ちはどこかこれと似たものがあるのかもしれない。(中略)

 十月二十九日、土曜。王子《おうじ》電車で小台《おだい》の渡しまで行った。名前だけで想像していたこの渡し場は武蔵野《むさしの》の尾花の末を流れる川の岸のさびしい物哀れな小駅であったが、来て見るとまず大きな料理屋兼旅館が並んでいる間にペンキ塗りの安西洋料理屋があったり、川の岸にはいろんな粗末な工場があったり、そして猪苗代湖《いなわしろこ》の水力で起こした電圧
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