胚子《はいし》に類したものを味わっているらしく見える。子供が虫をつかまえたり、いじめたり殺したりするのは、やはりいわゆる種属的記憶と称するものの一つでもあろうか。このような記憶あるいは本能が人間種族からすっかり消え去らない限り、強者と弱者の関係はあらゆる学説などとは無関係に存続するだろう。
 子供らはまたよくかやつり[#「かやつり」に傍点]草を芝の中から捜し出した。三角な茎をさいて方形の枠形《わくがた》を作るというむつかしい幾何学の問題を無意識に解いて、そしてわれわれの空間の微妙な形式美を味わっている事には気がつかないでいた。相撲取草《すもうとりぐさ》を見つけて相撲を取らせては不可解な偶然の支配に対する怪訝《けげん》の種を小さな胸に植えつけていた。
 芝の中からたんぽぽやほおずきやその他いろいろの雑草もはえて来た。私はなんだかそれを引き抜いてしまうのが惜しいような気がするのでそのままにしておくと、いつのまにか母や下女がむしり取るのであった。
 夏が進むにつれて芝はますます延びて行った。芝生《しばふ》の単調を破るためにところどころに植えてある小さなつつじやどうだん[#「どうだん」に傍点]
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