人の額に塗るためだそうだという話をせんだって友人から聞いていたが、実例をまのあたりに見るのははじめてである。
 いつか見た「バンジャ」という映画で、南洋土人の結婚式に、犠牲の鶏を殺してその血をちょっぴり鉢《はち》にたらし、そうして、その血を新夫婦が額に塗りまた胸に塗る場面があった。今度インド婦人の額の紅斑を見たときになんとなくそれを思い出して、何か両者の間に因縁があるのではないかという気がした。それからまた、「血」という字は「皿《さら》」の上に血液「ノ」を盛った形を示すという説を思い出し、「ノ」がどうして血の象徴になりうるかという意味が「バンジャ」の映画の皿の中の一抹《いちまつ》の血を見てはじめてわかったような気もするのであった。
 それはとにかく、額に紅を塗ったり、歯を染めたり眉《まゆ》を落としたりするのは、入れ墨をしたり、わざわざ傷あとを作ったりあるいは耳たぶを引き延ばし、またくちびるを鳥のくちばしのように突出させたりする奇妙な習俗と程度こそ違え本質的には共通な原理に支配された現象のような気がする。ちょっと考えると「美しく見せよう」という動機から化粧が起こったかと思われるが実はそう
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