ある。そうして短くても一週間は通《かよ》って毎日このとおりのことを繰り返さなければならないのであった。手術料は毎回払いであったが、いつも先生自身で小さな手さげ金庫の文字錠をひねっておつりを出してくれたのが印象に残っている。
 西洋へ行く前にどうしても徹底的にわるい歯の清算をしておく必要があるのでおおよそ半月ほど毎日○○病院に通《かよ》った。継ぎ歯、金冠、ブリッジなどといったような数々の工事にはずいぶんめんどうな手数がかかった。抜歯も何本か必要であったが、昔とちがってコカインのおかげでたいした痛みはなかった。ただし、左の下あごの犬歯の根だけ残っていたのが容易に抜けないので、がんじょうな器械を押し当ててぐいぐいねじられたときは顎骨《がくこつ》がぎしぎし鳴って今にも割れるかと思うようで気持ちが悪かった。手術がすんだら看護婦が葡萄酒《ぶどうしゅ》を一杯もって来て飲まされ、二三十分|椅子《いす》にもたれたまま休息することを命ぜられた。自分はそれほどに思わなかったが脳貧血の兆候が顔に現われたものと見える。この時に全部の手術を受け持ってくれたF学士に抜歯術に関する力学的解説を求められたので、大判洋紙
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