違うのはこれに限らない事ではあるが、このはしご灸《きゅう》などは一つのおもしろい実験である。ただその感覚の段階的変化を表示する尺度がまだ発見されていないのは残念である。
そのころの郷里には「切りもぐさ」などはなかったらしく、紙袋に入れたもぐさの塊《かたまり》から一ひねりずつひねり取っては付けるから下手《へた》をやると大小ならびにひねり方の剛柔の異同がはなはだしく、すえられるほうは見当がつかなくて迷惑である。母は非常にこれが上手《じょうず》で粒のよくそろったのをすえてくれた。一つは母の慈愛がそうさせたであろう。女中などが代わると、どうかするとばかに大きいのや堅びねりのが交じったり、線香の先で火のついたのを引き落として背中をころがり落とさせたりして、そうしてこっちが驚いておこるとよけいにおもしろがってそうするのではないかという嫌疑《けんぎ》さえ起こさせるのであった。
南国の真夏の暑い真盛りに庭に面した風通しのいい座敷で背中の風をよけて母にすえてもらった日の記憶がある。庭では一面に蝉《せみ》が鳴き立てている。その蝉の声と背中の熱い痛さとが何かしら相関関係のある現象であったかのような幻覚が
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