りうるわけである。たとえばある特定の地方である「水の兄《え》」の年に偶然水害があった場合に、それから十一年後の「水の弟《と》」の年に同じような水害の起こる確率が相当多いという事もあるかもしれない。ある辰年《たつどし》の冬ある地方がひどく乾燥でそのために大火が多かったとして、次の辰年にも同様な乾燥期が来るということには、単なる偶然以外に若干の気候週期的な蓋然率《がいぜんりつ》が期待されないこともない。
気候の変化が人間の生理にも若干の影響があるかもしれないとすると、それが胎児の特異性に多少の効果を印銘することが全然ないとも限らないし、そうなると生まれ年の干支とその人の特性とが、少なくもある期間については多少の相関を示す場合がないとも言われないような気がして来るのである。もちろんこれは大風が吹いて桶屋《おけや》が喜ぶというのと同じ論法ではあるが、そうかと言ってそういうことが全然ないということの証明もまたはなはだ困難であることだけは確かである。証明のできない言明を妄信《もうしん》するのも実はやはり一種の迷信であるとすれば、干支に関するいろいろな古来の口碑もいつかはまじめに吟味し直してみなけ
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