たということさえ知られていないかもしれない。

     三 冬夜の田園詩

 これも子供の時分の話である。冬になるとよく北の山に山火事があって、夜になるとそれが美しくまた物恐ろしい童話詩的な雰囲気《ふんいき》を田園のやみにみなぎらせるのであった。
 友だちと連れ立って夜ふけた田んぼ道でも歩いているときだれの口からともなく「キーターヤーマー、ヤーケール、シシーガデゥヨ」と歌うと他のものがこれに和する。終わりの「出ぅよ」を早口に歌ってしまうと何かに追われでもしたようにみんないっせいに駆け出すのであった。そういうときの不思議な気持ちを今でもありありと思い出すことができる。
 自分が物心づくころからすでにもうかなりのおばあさんであって、そうして自分の青年時代に八十余歳でなくなるまでやはり同じようなおばあさんのままで矍鑠《かくしゃく》としていたB家の伯母《おば》は、冬の夜長に孫たちの集まっている燈下で大きなめがねをかけて夜なべ仕事をしながらいろいろの話をして聞かせた。その中でも実に不思議な詩趣を子供心に印銘させた話は次のようなものであった。
 冬のやみ夜に山中のたぬきどもが集まって舞踊会のよう
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