ながら織っている姿がぼんやりした夢のような記憶に残ってはいるが、自分が少し大きくなってからは、もうこの機はあまり使われなかったらしい。しかし自分の姉の家ではその老母がずっとあとまで、自分らの中学時代までも、この機織りを唯一の楽しみのようにして続けていた。木の皮を煮てかせ糸を染めることまで自分でやるのを道楽にしていたようである。純粋な昔ふうのいわゆる草木染めで、化学染料などの存在はこの老人の夢にも知らぬ存在であった。この老人の織ったふとん地が今でもまだ姉の家に残っているが、その色がちっともあせていないと言って甥《おい》のZが感嘆して話していた。
 いつであったか、銀座資生堂《ぎんざしせいどう》楼上ではじめて山崎斌《やまざきたけし》氏の草木染めの織物を見たときになぜか涙の出そうなほどなつかしい気がした。そのなつかしさの中にはおそらく自分の子供の時分のこうした体験の追憶が無意識に活動していたものと思われる。またことしの初夏には松坂屋《まつざかや》の展覧会で昔の手織り縞《じま》のコレクションを見て同じようななつかしさを感じた。もしできれば次に出版するはずの随筆集の表紙にこの木綿《もめん》を使い
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