音が聞こえてくることがあった。それがやはり四拍子の節奏で「パン/\/\ヤ」というふうに響くのであった。おそらく今ではもうどこへ行ってもめったに聞かれない田園の音楽の一つであろうと思われる。
明治二十七八年|日清戦争《にっしんせんそう》の最中に、予備役で召集されて名古屋《なごや》の留守師団に勤めていた父をたずねて遊びに行ったとき、始めて紡績会社の工場というものの見学をして非常に驚いたものである。祖母が糸車で一生涯《いっしょうがい》かかって紡ぎ得たであろうと思う糸の量が数え切れない機械の紡錘から短時間に一度に流れ出していた。そこにはあのゆるやかな抑揚ある四拍子の「子守《こも》り歌」の代わりに、機械的に調律された恒同な雑音と唸《うな》り音の交響楽が奏せられていた。
祖母の紡いだ糸を紡錘竹《つむだけ》からもう一ぺん四角な糸繰り枠《わく》に巻き取って「かせ」に作り、それを紺屋に渡して染めさせたのを手機《てばた》に移して織るのであった。裏の炊事場《かまや》の土間の片すみにこしらえた板の間に手機が一台置いてあった。母がそれに腰をかけて「ちゃんちゃんちゃきちゃん」というこれもまた四拍子の拍音を立て
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