たいと思って店員に相談してみたが、古い物をありだけ諸方から拾い集めたのだから、同じ品を何反もそろえる事は到底不可能だというので遺憾ながら断念した、新たに織らせるとなるとだいぶ高価になるそうである。こんなに美しいと思われるものが現代の一般の人の目には美しいと思われなくなってしまったという事実が今さらのように不思議に感ぜられた。話は脱線するが、最近に見た新発明の方法によると称する有色発声映画「クカラッチャ」のあの「叫ぶがごとき色彩」などと比べると、昔の手織り縞《じま》の色彩はまさしく「歌う色彩」であり「思考する色彩」であるかと思われるのである。
 化学的薬品よりほかに薬はないように思われた時代の次には、昔の草根木皮が再びその新しい科学的の意義と価値とを認められる時代がそろそろめぐって来そうな傾向が見える。いよいよその時代が来るころには、あるいは草木染めの手織り木綿《もめん》が最もスマートな都人士の新しい流行趣味の対象となるという奇現象が起こらないとも限らない。銀座《ぎんざ》で草木染めが展観されデパートで手織り木綿が陳列されるという現象がその前兆であるかもわからないのである。そうして、鋼鉄製
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