る。尊崇している偉人や大家がたちまちにして凡人以下になったりするのではだれでも不愉快である。大概の錯覚は永久にだいじにそっとしておくほうがいいかもしれない。ただ事がらが自然科学の事実に関する限り、それを新聞社会欄の記事として錯覚的興味をそそることだけは遠慮なくやめたほうがいいであろうと思う。何人《なんびと》をも益することなくして、ただ日本の新聞というものの価値をおとすだけだからである。

     五 紙獅子

 銀座《ぎんざ》や新宿《しんじゅく》の夜店で、薄紙をはり合わせて作った角張ったお獅子《しし》を、卓上のセルロイド製スクリーンの前に置き、少しはなれた所から団扇《うちわ》で風を送って乱舞させる、という、そういう玩具《おもちゃ》を売っているのである。これは物理的にもなかなかおもしろいものである。ヨーヨーも物理的|玩具《がんぐ》であるが、あれはだいたいは簡単な剛体力学の原理ですべてが解釈される。しかしこの獅子のほうは複雑な渦流《かりゅう》が複雑な面に及ぼす力の問題を包んでいる。飛行機と突風との関係に似ていっそう複雑な場合であるから、世界じゅうの航空力学の大家でも手こずらせるだけの難題
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