錯覚数題
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)熊《くま》さん

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)故|長岡《ながおか》将軍

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](昭和八年八月、中央公論)
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     一 ハイディンガー・ブラッシ

 目は物を見るためのものである。目がなければ外界の物は見えない。しかし目が二つあれば目で見えるはずのものがなんでも見えるかと言うと、そうは行かない。眼前の物体の光学的影像がちゃんと網膜に映じていてもその物の存在を認めないことはある。これはだれでも普通に経験することである。たとえば机の上にある紙切りが見えないであたり近所を捜し回ることがある。手に持っている品物をないないと言って騒ぐのは、漫画のヒーロー「あわてものの熊《くま》さん」ばかりではない。
 留守にたずねて来た訪問客がだれだかよくわからない場合に、取り次いだ女中に「鬚《ひげ》があったか、なかったか」と聞いてみると、大概の場合に、はっきりした記憶がない。故|長岡《ながおか》将軍くらいの程度ならばこうい
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