些細《ささい》な知識を求めるのでも容易なことではない。いやむしろ些細なことだからむつかしいかもしれない。
学問のほうでも当世流行の問題に関する知識を求めようとする場合は参考書でも論文でも有り過ぎて困る。しかしそういう本や論文を読んだだけで、自分の疑問のすべてを解かれるためしはほとんどない。くすぐったいところになると、どの本を見てもやっぱり、くすぐったい。わかりきったことは、どの本を見ても明瞭《めいりょう》である。
実験的研究に関する書物や論文を読んでも記載を読んだだけで、そのとおりやってもできないことはよくある。肝心の要訣《ようけつ》がぼかしてある場合が多いのは著者の故意か不親切かひとり合点かわからない。芸術家も同様に科学者も自分のしていることの妙所を認識できないためかもしれない。
結局自分に入用なものは、品物でも知識でも、自分で骨折って掘り出すよりほかに道はない。本屋にあまりたくさんいろいろな本があるので、ついついだまされて本さえ見れば学者になれるというような錯覚にとらわれるのである。
四 錯覚利用術
これも目のたよりにならぬ話である。
急に暑くなった日に電車
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