に乗って行くうちに頭がぼうっとして、今どこを通っているかという自覚もなくぼんやり窓外をながめていると、とあるビルディングの高い壁面に、たぶん夜の照明のためと思われる大きな片かなのサインが「ジンジンホー」と読まれた。どういうわけか、その瞬間に、これは何か新しい清涼飲料の広告であろうという気がした。しかしその次の瞬間に電車は進んで、私は丸《まる》の内《うち》「時事新報」社の前を通っている私を発見したのであった。
宅《うち》に近い盛り場にあるある店の看板は、人がよく「ボンラクサ」と読んでなんのことだろうと思うそうである。丸《まる》の内《うち》の「グンデルビ上海」の類である。東海道を居眠りして来た乗客が品川《しながわ》で目をさまして「ははあ、はがなしという駅が新設になったのかなあ」と言ったのも同様である。
反対に、間違ったのを正しく読むのは校正の場合の大敵である。これを利用して似寄った名前の偽似商品を売るのもある。
たとえばゴルフの大家|梅木鶴吉《うめきつるきち》という人があるとする。そうして書店の陳列棚《ちんれつだな》に「ゴルフの要訣《ようけつ》、梅本鶴吉著」という本があったとすると
前へ
次へ
全21ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング