へいって話しかける。第二中学の模様など聞いているうち船員が出帆旗を下ろしに来た。杣《そま》らしき男が艫へ大きな鋸《のこぎり》や何かを置いたので窮屈だ。山々の草枯れの色は実に美しいと東の山ばかり見ているうちはや神島《こうじま》まで来て、久礼《くれ》はと見たけれども何処とも見当がつかぬ。釣船が追々に沖から帆を上げて帰って来る。甲板を下駄で蹴りながら、昨日稽古した「エコー」と云うのを歌う。室へ入ろうとするといつの間にか商人|体《てい》の男二人その連れらしき娘一人室へいっぱいになって『風俗画報』か何か見ているので、また甲板をあちこち。機関長室からハイカラ先生の鼠色のズボンが片足出て、鏡に女の顔が映って見える。煙突の脇へ子供を負った婆さんとおばさんとが欄干にもたれて立って、伝馬《てんま》の船底から山を見ている顔が淋しそうな。右舷《うげん》へ出ると西日が照りつけて、蝶々に結《ゆ》った料理屋者らしいのが一人欄へもたれて沖をぼんやり見ている。会食室の戸が開いているからちらと見たら、三十くらいの意気な女と酒をのんでいる男があったが、顔はよく見えなかった。また左舷へ帰って室へはいって革鞄から『桂花集』を引
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