野の花になって咲いているような事を考えていた。こんな心持であったから、多少の病苦はあったにもかかわらず、心は不思議なくらい愉快であった。呑気にあせらずよく養生したためか、あの後はからだが却《かえ》って前よりは良くなった。そして医者や友達の勧めるがまま運動を始めた。テニスもやった、自転車も稽古した。食物でも肉類などはあまり好きでなかったのが運動をやり出してから、なんでも好きになり、酒もあの頃から少し飲めるようになった。前には人前に出るとじきにはにかんだりしたのが、校友会で下手《へた》な独唱を平気でするようになった。なんだか自分の性情にまで、著しい変化の起った事は、自分でもよくわかったし、友達などもそう云っていた。しかし、それはただ表面に現われた性行の変りに過ぎぬので、生れ付き消極的な性質は何処《どこ》までも変らぬ。それでなければ今頃こんな消極的な俗吏になって、毎日同じような消極的な仕事を不思議とも思わずやっている筈はないかも知れぬ。いったい自分は法科などへはいってこんな俗吏になろうと云うような考えは毛頭なかった。中学校に居た頃、先では何になる積《つも》りかなどとよく人に聞かれた事はあった
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