たと思うと、親の顔が今更になつかしい。二度目に罹った時は中学校を出て高等学校に移った明けの春であった。始めての他郷の空で、某病院の二階のゴワゴワする寝台に寝ながら窓の桜の朧月を見た時はさすがに心細いと思った。ちょうど二学期の試験のすぐ前であったが、忙しい中から同郷の友達等が入り代り見舞に来てくれ、みんな足《た》しない身銭《みぜに》を切って菓子だの果物だのと持って来ては、医員に叱られるような大きな声で愉快な話をして慰めてくれた。あの時の事を今から考えてみると、あるいは自分の生涯の中で最も幸福な時だったかも知れぬと思う。憎まれ児世に蔓《はびこ》ると云う諺《ことわざ》の裏を云えば、身体が丈夫で、智恵があって、金があって、世間を闊歩するために生れたような人は、友情の籠った林檎《りんご》をかじって笑いながら泣くような事のあるのを知らずにしまうかも知れない。あの頃自分は愛読していた書物などの影響から、人間は別になんにもしなくても、平和に綺麗に一生を過せばそれでよいと云ったような考えが漠然と出来ていたので、病気で試験を休もうが、落第しようが、そんな事は一向心配しなかった。むしろ病気で身体が弱くなって
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