を見る。透明な光は天地に充ちてそよとの風もない。門の垣根の外には近所の子供が二、三人集まって、声高《こわだか》に何か云っているが、その声が遠くのように聞える。枕につけた片方の耳の奧では、動脈の漲る音が高く明らかに鳴っている。
 また肺炎かと思う。これまで既に二度、同じ病気に罹《かか》った時分の事も思い出す。始めての時はまだ小学時代の事で、大方の事は忘れて仕舞った。病気の苦しみなどはまるきり忘れてしまって、ただ病気の時に嬉しかったような事だけが、順序もなく浮んで来る。いったい自分は両親にとっては掛け替えのない独り子で、我儘《わがまま》にばかり育ったが、病気となると一層の我儘で手が付けられなかったそうである。薬でもなかなか大人《おとな》しくのまぬ。これを飲んだらあれを買ってやるからと云ったような事で、枕元には玩具《おもちゃ》や絵本が堆《うずたか》くなっていた。少し快《よ》くなる頃はもう外へ遊びに出ようとする、それを引き止めるための玩具がまた増した。これが例になって、その後はなんでも少し金目のかかるような欲しい物は、病気の時にねだる事にした。病気を種に親をゆするような事を覚えたのはあの時だっ
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