桃色にして、そうして両方のたぼを上向きにひっくらかえしているのが田舎《いなか》少年の目には不思議に思われた。それから、五丁目あたりの東側の水菓子屋で食わせるアイスクリームが当時の自分には異常に珍しくまたうまいものであった。ヴァニラの香味がなんとも知れず、見た事も聞いた事もない世界の果ての異国への憧憬《どうけい》をそそるのであった。それを、リキュールの杯ぐらいな小さなガラス器に頭を丸く盛り上げたのが、中学生にとってはなかなか高価であって、そうむやみには食われなかった。それからまた、現在の二葉屋《ふたばや》のへんに「初音《はつね》」という小さな汁粉屋《しるこや》があって、そこの御膳汁粉《ごぜんじるこ》が「十二か月」のより自分にはうまかった。食うという事は知識欲とともに当時の最大の要事であったのである。
父に連れられてはじめて西洋料理というものを食ったのが、今の「天金《てんきん》」の向かい側あたりの洋食店であった。変な味のする奇妙な肉片を食わされたあとで、今のは牛の舌だと聞いて胸が悪くなって困った。その時に、うまいと思ったのは、おしまいの菓子とコーヒーだけであった。父に連れられて「松田《ま
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