つだ》」で昼食を食ったのもそのころであったように思う。玉子豆腐の朱わんのふたの裏に、すり生姜《しょうが》がひとつまみくっつけてあったことを、どういうわけか覚えている。父が何かしらそれについて田舎と東京との料理の比較論といったようなものをして聞かせたようであった。
天狗煙草《てんぐたばこ》が全盛の時代で、岩谷《いわや》天狗の松平《まつへい》氏が赤服で馬車を駆っているのを見た記憶がある。店の紅殻色《べんがらいろ》の壁に天狗の面が暴戻《ぼうれい》な赤鼻を街上に突き出したところは、たしかに気の弱い文学少年を圧迫するものであった。松平氏は資本家で搾取者であったろうが、彼の闘志と赤色趣味とは今のプロレタリア運動にたずさわる人々と共通なものをもっていた。しかしまたピンヘッドやサンライズを駆逐して国産を宣伝した点では一種のファシストでもあったのである。彼もたしかに時代の新人ではあった。
旧時代のハイカラ岸田吟香《きしだぎんこう》の洋品店へ、Sちゃんが象印の歯みがきを買いに行ったら、どう聞き違えたものか、おかしなゴム製の袋を小僧がにやにやしながら持ち出したと言って、ひどくおかしがって話したことを思い
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