いイタリアの民謡である。遠い国にさすらいのイタリア人が、この歌を聞くときっと涙を流すという。
 今、わが家の子供らの歌うこの民謡を聞いていると、ふた昔前のイタリアの旅を思い出し、そうしてやはり何かしら淡い客愁のようなものを誘われるのである。
 ナポリの港町の夜景が心に浮かぶ。
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朧夜を流すギターやサンタ・ルチア[#地から1字上げ](昭和五年五月、渋柿)
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       *

 うすら寒い日の午後の小半日を、邦楽座《ほうがくざ》の二階の、人気《ひとけ》の少ない客席に腰かけて、遠い異国のはなやかな歓楽の世界の幻を見た。
 そうして、つめたいから風に吹かれて、ふるえながらわが家に帰った。
 食事をして風呂《ふろ》にはいって、肩まで湯の中に浸って、そうして湯にしめした手ぬぐいを顔に押し当てた瞬間に、つぶった眼の前に忽然《こつぜん》と昼間見た活動女優の大写しの顔が現われた、と思うとふっと消えた。
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アメリカは人皆踊る牡丹《ぼたん》かな[#地から1字上げ](昭和五年五月、渋柿)
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 いろいろな国語の初歩の読本には、その国々特有の色と香がきわめて濃厚に出ている。
 ナショナルリーダーを教わった時に、幼い頭に描かれた異国の風物は、英米のそれであった。
 ブハイムを手にした時には、また別の国の自然と、人と、その歴史が、新しい視野を展開した。
 ロシアの読本をのぞくと、たちまちにして自分がロシアの子供に生まれ変わり、ラテンの初歩をかじると、二千年前のローマ市民の子供になり、蝋石盤《ろうせきばん》をかかえて学校へ通うようになる。
 おとなの読み物では、決して、これほど農厚な国々に特有な雰囲気は感ぜられないような気がする。
 飜訳というものもある程度までは可能である。
 しかし、初歩の読本の与える不思議な雰囲気だけは、全然飜訳のできないものである。[#地から1字上げ](昭和五年七月、渋柿)
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 純白な卓布の上に、規則正しく並べられた銀器のいろいろ、切り子ガラスの花瓶に投げ込まれた紅白のカーネーション、皿の上のトマトの紅とサラドの緑、頭上に回転する扇風機の羽ばたき、高い窓を飾る涼しげなカーテン。
 そこへ、美しいウエトレスに導かれて、二人の老人がはいって来る。
 それは芭蕉翁《ばしょうおう》と歌麿《うたまろ》とである。
 芭蕉は定食でいいという、歌麿はア・ラ・カルテを主張する。
 前者は氷水、後者はクラレットを飲む。
 前者は少なく、後者は多く食う。
 前者はうれしそうに、あたりをながめて多くは無言であるが、後者はよく談じ、よく論じながら、隣の卓の西洋婦人に、鋭い観察の眼を投げる。
 隣室でジャズが始まると、歌麿の顔が急に活き活きして来る、葡萄酒のせいもあるであろう。
 芭蕉は、相変わらずニコニコしながら、一片の角砂糖をコーヒーの中に落として、じっと見つめている。
 小さな泡《あわ》がまん中へかたまって四方へ開いて消える。
 それが消えると同時に、芭蕉も、歌麿も消えてしまって、自分はただ一人、食堂のすみに取り残された自分を見いだす。[#地から1字上げ](昭和五年九月、渋柿)
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   震生湖より


 (はがき)昨日《きのう》は、朝、急に思い立ち、秦野《はたの》の南方に、関東地震の際の山崩れのために生じた池、「震生湖《しんせいこ》」というのを見物および撮影に行った。……
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山裂けて成しける池や水すまし
穂芒《ほすすき》や地震《ない》に裂けたる山の腹[#地から1字上げ](昭和五年十月、渋柿)
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 新宿、武蔵野館《むさしのかん》で、「トルクシブ」というソビエト映画を見た。
 中央アジアの、人煙稀薄な曠野《こうや》の果てに、剣のような嶺々が、万古の雪をいただいて連なっている。
 その荒漠《こうばく》たる虚無の中へ、ただ一筋の鉄道が、あたかも文明の触手とでもいったように、徐々に、しかし確実に延びて行くのである。
 この映画の中に、おびただしい綿羊の群れを見せたシーンがある。
 あんな広い野を歩くのにも、羊はほとんど身動きのできないほどに密集して歩いて行くのが妙である。
 まるで白泡《しらあわ》を立てた激流を見るようである。
 新宿の通りへ出て見ると、おりから三越の新築開店の翌日であったので、あの狭い人道は非常な混雑で、ちょうどさっき映画で見た羊の群れと同じようである。
 してみると、人間という動物にも、やはりどこか綿羊と共通な性質があるものと見える。
 そう考えると、自分などは、まず狸《たぬき》か狢《むじな》の類かと思って、ちょっとさびしい心持ちがした。
 そうして、再びかの荒漠たる中央アジアの砂漠の幻影が、この濃まやかな人波の上に、蜃気楼《しんきろう》のように浮かみ上がって来るのであった。[#地から1字上げ](昭和五年十一月、渋柿)
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   女の顔


 夏目先生が洋行から帰ったときに、あちらの画廊の有名な絵の写真を見せられた。
 そうして、この中で二、三枚好きなのを取れ、と言われた。
 その中に、ギドー・レニの「マグダレナのマリア」があった。
 それからまたサー・ジョシュア・レーノルズの童女や天使などがあった。
 先生の好きな美女の顔のタイプ、といったようなものが、おぼろげに感ぜられるような気がしたのである。
 そのマグダレナのマリアをもらって、神代杉《じんだいすぎ》の安額縁に収めて、下宿の※[#「木+眉」、第3水準1−85−86]間《びかん》に掲げてあったら、美人の写真なんかかけてけしからん、と言った友人もあった。
 千駄木《せんだぎ》時代に、よくターナーの水彩など見せられたころ、ロゼチの描く腺病質《せんびょうしつ》の美女の絵も示された記憶がある。
 ああいうタイプもきらいではなかったように思う。
 それからまたグリューズの「破瓶《われがめ》」の娘の顔も好きらしかった。
 ヴォラプチュアスだと評しておられた。
 先生の「虞美人草《ぐびじんそう》」の中に出て来るヴォラプチュアスな顔のモデルがすなわちこれであるかと思われる。
 いつか、上野の音楽会へ、先生と二人で出かけた時に、われわれのすぐ前の席に、二十三、四の婦人がいた。
 きわめて地味な服装で、頭髪も油気のない、なんの技巧もない束髪《そくはつ》であった。
 色も少し浅黒いくらいで、おまけに眼鏡《めがね》をかけていた。
 しかし後ろから斜めに見た横顔が実に美しいと思った。
 インテリジェントで、しかも優雅で温良な人柄が、全身から放散しているような気がした。
 音楽会が果てて帰路に、先生にその婦人のことを話すと、先生も注意して見ていたとみえて、あれはいい、君あれをぜひ細君にもらえ、と言われた。
 もちろんどこのだれだかわかるはずもないのである。
 その後しばらくたってのはがきに、このあいだの人にどこかで会ったという報告をよこされた。全集にある「水底の感」という変わった詩はそのころのものであったような気がする。
「趣味の遺伝」もなんだかこれに聯関したところがあるような気がするが、これも覚えちがいかもしれない。
 それはとにかく、この問題の婦人の顔がどこかレニのマリアにも、レーノルズの天使や童女にも、ロゼチの細君や妹にも少しずつ似ていたような気がするのである。
 しかし、一方ではまた、先生が好きであったと称せらるる某女史の顔は、これらとは全くタイプのちがった純日本式の顔であった。
 また「鰹節屋《かつぶしや》のおかみさん」というのも、下町式のタイプだったそうである。
 先生はある時、西洋のある作者のかいたものの話をして「往来で会う女の七十プロセントに恋するというやつがいるぜ」と言って笑われた。
 しかし、今日になって考えてみると、先生自身もやはりその男の中に、一つのプロトタイプを認められたのではなかったかという気もするのである。[#地から1字上げ](昭和六年一月、渋柿)
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[#図8、挿し絵「窓」]
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   曙町より(一)


 先夜はごちそうありがとう。
 あの時、床の間に小手鞠《こでまり》の花が活かっていたが、今日ある知人の細君が来て、おみやげに同じ小でまりとカーネーションをもらった。
 そうして、新築地劇団の「レ・ミゼラブル」の切符をすすめられ、ともかくも預かったものの、あまり気がすすまないので、このほうは失礼して邦楽座の映画を見に行った。
 グレタ・ガルボ主演の「接吻《せっぷん》」というのを見たが、編輯《へんしゅう》のうまいと思うところが数箇所あった。
 たとえば、惨劇の始まろうとする始めだけ見せ、ドアーの外へカメラと観客を追い出した後に、締まった扉だけを暫時《ざんじ》見せる。
 次には電話器だけが大写しに出る。
 それが、どうしたのかと思うほど長く写し出される。
 これはヒロインの※[#「足へん+厨」、第3水準1−92−39]躇《ちゅうちょ》の心理を表わすものであろう。
 実際に扉の中で起こったはずの惨劇の結果――横たわる死骸――は、後巻で証拠物件を並べた陳列棚の中の現場写真で、ほんのちらと見せるだけである。
 もっとも、こんなふうな簡単に説明できるような細工にはほんとうのうまみはないので、この映画の監督のジャック・フェイダーの芸術は、むしろ、こんなふうには到底説明する事のできないような微細なところにあるようである。
 クローズアップのガルボの顔のいろいろの表情を交互に映出するしかたなどでもかなりうまい。
 言わばそこにほんとうの「表情の俳諧」があるように思う。
 一度御覧いかがや。ついでながらこのガルボという女はどこか小でまりの花の趣もあると思うがこの点もいかがや。
 新劇「レ・ミゼラブル」は、見ないけれども、おそらくたった一口で言えるようなスローガンを頑強にべたべたと打ち出したものかと思う。
 少なくとも、これにはおそらくどこにも「俳諧」は見いだす事ができないだろう、と想像される。[#地から1字上げ](昭和六年二月、渋柿)
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   曙町より(二)


 先日は失礼。
 鉄筋コンクリートの三階から、復興の東京を見下ろしての連句三昧《れんくざんまい》は、変わった経験であった。
 ソクラテスが、籠《かご》にはいって吊り下がりながら、天界の事を考えた話を思い出した。
 日が暮れた窓から、下町の照明をながめていたら、高架電車の灯《ひ》が町の灯の間を縫うて飛ぶのが、妙な幻想を起こさせた。
 自分がただ一人さびしい星の世界のまん中にでもいるような気がした。
 今朝も庭の椿《つばき》が一輪落ちていた。
 調べてみると、一度うつ向きに落ちたのが反転して仰向きになったことが花粉の痕跡からわかる。
 測定をして手帳に書きつけた。
 このあいだ、植物学者に会ったとき、椿の花が仰向きに落ちるわけを、だれか研究した人があるか、と聞いてみたが、たぶんないだろうということであった。
 花が樹にくっついている間は植物学の問題になるが、樹をはなれた瞬間から以後の事柄は問題にならぬそうである。
 学問というものはどうも窮屈なものである。
 落ちた花の花粉が落ちない花の受胎に参与する事もありはしないか。
「落ちざまに虻《あぶ》を伏せたる椿哉」という先生の句が、実景であったか空想であったか、というような議論にいくぶん参考になる結果が、そのうちに得られるだろうと思っている。
 明日は金曜だからまた連句を進行させよう。[#地から1字上げ](昭和六年五月、渋柿)
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   曙町より(三)


 君の、空中飛行、水中潜行の夢の話は、その中にむせっぽいほどに濃艶《のうえん》なる雰囲気を包有している。
 これに対する、僕のさびしいミゼラブルな夢の一つを御紹介する。
 それは「さまよえ
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