教導団出身の彼は、中学校の体操教師で、男の子ばかり九人養っている。
 宅《うち》へ行って見ると、畳も建具も、実に手のつけ所のないほどに破れ損じているのである。
 挨拶がすんで、屠蘇《とそ》が出て、しばらく話しているうちに、その子はつかつかと縁側へ立って行った、と思うといきなりそこの柱へ抱きついて、見る間に頂上までよじ上ってしまった。
 Tがあわててしかると、するするとすべり落ちて、Tの横の座蒲団《ざぶとん》の上にきちんとすわって、袴《はかま》のひざを合わせた上へ、だいぶひびの切れた両手を正しくついて、そうして知らん顔をしているのであった。
 しきりに言い訳をするTを気の毒とは思いながらも、私は愉快な、心からの笑い声が咽喉からせり上げて来るのを防ぎかねた。
 貧しくてもにぎやかな家庭で、八人の兄弟の間に自由にほがらかに活溌に育って来たこの子の身の上を、これとは反対に実に静かでさびしかった自分の幼時の生活に思い比べて、少しうらやましいような気もするのであった。[#地から1字上げ](大正十年一月、渋柿)
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 人殺しをした人々の魂が、毎年きまったある月のある
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