日の夜中に墓の中から呼び出される。
そうして、めいめいの昔の犯罪の現場を見舞わせられる。
行きがけには、だれも彼も
「正当だ。おれのしたことは正当だ」
とつぶやきながら出かけて行く。
……しかし、帰りには、みんな
「悪かった。悪かった」
とつぶやきながら、めいめいの墓場へ帰って行くそうである。
私は、……人殺しだけはしないことにきめようと思う。[#地から1字上げ](大正十年二月、渋柿)
[#改ページ]
*
彼はある日歯医者へ行って、奥歯を一本抜いてもらった。
舌の先でさわってみると、そこにできた空虚な空間が、自分の口腔《こうこう》全体に対して異常に大きく、不合理にだだっ広いもののように思われた。
……それが、ひどく彼に人間の肉体のはかなさ、たよりなさを感じさせた。
またある時、かたちんばの下駄《げた》をはいてわずかに三町ばかり歩いた。すると、自分の腰から下が、どうも自分のものでないような、なんとも言われない情けない心持ちになってしまった。
それから、……
そんな事から彼は、おしまいには、とうとう坊主になってしまった。[#地から1字上げ](大正十年二
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