いイタリアの民謡である。遠い国にさすらいのイタリア人が、この歌を聞くときっと涙を流すという。
 今、わが家の子供らの歌うこの民謡を聞いていると、ふた昔前のイタリアの旅を思い出し、そうしてやはり何かしら淡い客愁のようなものを誘われるのである。
 ナポリの港町の夜景が心に浮かぶ。
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朧夜を流すギターやサンタ・ルチア[#地から1字上げ](昭和五年五月、渋柿)
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       *

 うすら寒い日の午後の小半日を、邦楽座《ほうがくざ》の二階の、人気《ひとけ》の少ない客席に腰かけて、遠い異国のはなやかな歓楽の世界の幻を見た。
 そうして、つめたいから風に吹かれて、ふるえながらわが家に帰った。
 食事をして風呂《ふろ》にはいって、肩まで湯の中に浸って、そうして湯にしめした手ぬぐいを顔に押し当てた瞬間に、つぶった眼の前に忽然《こつぜん》と昼間見た活動女優の大写しの顔が現われた、と思うとふっと消えた。
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アメリカは人皆踊る牡丹《ぼたん》かな[#地から1字上げ](昭和五年五月、渋柿)
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