げ](昭和四年七月、渋柿)
[#改ページ]
*
あたりが静かになると妙な音が聞こえる。
非常に調子の高い、ニイニイ蝉《ぜみ》の声のような連続的な音が一つ、それから、油蝉《あぶらぜみ》の声のような断続する音と、もう一つ、チッチッと一秒に二回ぐらいずつ繰り返される鋭い音と、この三つの音が重なり合って絶え間なく聞こえる。
頸を左右にねじ向けても同じように聞こえ、耳をふさいでも同じように聞こえる。
これは「耳の中の声」である。
平生は、この声に対して無感覚になっているが、どうかして、これが聞こえだすと、聞くまいと思うほど、かえって高く聞こえて来る。
この声は、何を私に物語っているのか、考えてもそれは永久にわかりそうもない。
しかし、この声は私を不幸にする。
もし、幾日も続けてこの声を聞いていたら、私はおしまいには気が狂ってしまって、自分で自分の両耳をえぐり取ってしまいたくなるかもしれない。
しあわせなことには、わずらわしい生活の日課が、この悲運から私を救い出してくれる。
同じようなことが私の「心の中の声」についても言われるようである。[#地から1字上げ](
前へ
次へ
全160ページ中56ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング