芸術的制作は作者の熱望するものを表現するだけでなく、それを実行することだそうである。
 この説によって、試みに俳句を取り扱ってみると、どういうことになるであろうか。
 恋の句を作るのは恋をすることであり、野糞《のぐそ》の句を作るのは野糞をたれる事である。
 叙景の句はどういう事になるか。
 それは十七字の中に自分の欲する景色を再現するだけではいけなくて、その景色の中へ自分が飛び込んで、その中でダンスを踊らなくては、この定義に添わないことになる。
 これも一説である。
 少なくも古来の名句と、浅薄な写生句などとの間に存する一の重要な差別の一面を暗示するもののようである。
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客観のコーヒー主観の新酒|哉《かな》[#地から1字上げ](昭和三年十一月、渋柿)
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       *

 甲が空間に一線を劃する。
 乙がそれに続けて少し短い一線を画く。
 二つの線は互いにある角度を保っているので、これで一つの面が定まる。
 次に、丙がまた乙の線の末端から、一本の長い線を引く。
 これは、乙の線とある角度をしているので、乙丙の二線がまた一
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