した桟敷《さじき》の一隅《いちぐう》に席を求め、まずい弁当を食い、気の抜けたサイダーを呑《の》み、そうしてガソリン臭い川風に吹かれながら、日の暮れるのを待った。
全く何もしないで、何も考えないで、一時間余りもポカンとして、花火のはじまるのを待っているあほうの自分を見いだすことができたのは愉快であった。
附近ではビールと枝豆がしきりに繁昌《はんじょう》していた。
日が暮れて、花火がはじまった。
打ち上げ花火はたしかに芸術である。
しかし、仕掛け花火というものは、なんというつまらないものであろう。
特に往生ぎわの悪さ、みにくさはどうであろう。
「ざまあみろ。」
江戸ッ子でない自分でもこう言いたくなる。
一つ驚いた事を発見した。
それはマクネイル・ホイッスラーという西洋人が、廣重《ひろしげ》よりも、いかなる日本人よりも、よりよく隅田川《すみだがわ》の夏の夜の夢を知っていたということである。[#地から1字上げ](昭和三年九月、渋柿)
[#改ページ]
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芸術は模倣であるというプラトーンの説がすたれてから、芸術の定義が戸惑いをした。
ある学者の説によると、
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