道ばたの崖《がけ》の青芒《あおすすき》の中に一本の楢《なら》の木が立っている。
その幹に虫がたくさん群がっている。
紫色の紋のある美しい蝶《ちょう》が五、六羽、蜂が二種類、金亀子《こがねむし》のような甲虫《こうちゅう》が一種、そのほかに、大きな山蟻《やまあり》や羽蟻《はあり》もいる。
よく見ると、木の幹には、いくつとなく、小指の頭ぐらいの穴があいて、その穴の周囲の樹皮がまくれ上がりふくれ上がって、ちょうど、人間の手足にできた瘍《よう》のような恰好《かっこう》になっている。
虫類はそれらの穴のまわりに群がっているのである。
人間の眼には、おぞましく気味の悪いこの樹幹の吹き出物に人間の知らない強い誘惑の魅力があって、これらの数多くの昆虫をひきよせるものと見える。
私は、この虫の世界のバッカスの饗宴を見ているうちに、何かしら名状し難い、恐ろしいような物すごいような心持ちに襲われたのであった。[#地から1字上げ](大正十二年九月、渋柿)
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震災の火事の焼け跡の煙がまだ消えやらぬころ、黒焦げになった樹の幹に鉛丹《えんたん》色のかびのようなものが
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