は見てもくれない文章をかいたり絵をかいたりするのも、考えてみれば、やはりこの道路商人のひとり言と同じようなものである。[#地から1字上げ](大正十年十二月、渋柿)
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宿屋や料理屋などの広告に、その庭園や泉石の風景をペンキ絵で描いた建て札のようなものが、よく田舎《いなか》の道ばたなどに立ててある。
たとえば、その池などが、ちょっとした湖水ぐらいはありそうに描かれているが、実際はほんの金魚池ぐらいのものであったりする。
ああいう絵をかく絵かきは、しかし、ある意味でえらいと思う。
天然を超越して、しかもまたとにかく新しい現実を創造するのだから。[#地から1字上げ](大正十年十二月、渋柿)
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暮れの押し詰まった銀座の街を、子供を連れてぶらぶら歩いていた。
新年用の盆栽を並べた露店が、何軒となくつづいている。
貝細工のような福寿草よりも、せせこましい枝ぶりをした鉢《はち》の梅よりも、私は、藁《わら》で束ねた藪柑子《やぶこうじ》の輝く色彩をまたなく美しいものと思った。
まんじゅうをふかして売っている露店がある。
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