「全体」はさっぱり実物らしくない。
全体が実物らしく見えるように描くには、「部分」を実物とはちがうように描かなければいけないということになる。
印象派の起こったわけが、やっと少しわかって来たような気がする。
思ったことを如実に言い現わすためには、思ったとおりを言わないことが必要だという場合もあるかもしれない。[#地から1字上げ](大正十年七月、渋柿)
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寝入りぎわの夢現《ゆめうつつ》の境に、眼の前に長い梯子《はしご》のようなものが現われる。
梯子の下に自分がいて、これから登ろうとして見上げているのか、それとも、梯子の上にいて、これから降りようとしているのか、どう考えてもわからない。[#地から1字上げ](大正十年七月、渋柿)
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嵐《あらし》の夜が明けかかった。
雨戸を細目にあけて外をのぞいて見ると、塀《へい》は倒れ、軒ばの瓦《かわら》ははがれ、あらゆる木も草もことごとく自然の姿を乱されていた。
大きな銀杏《いちょう》のこずえが、巨人の手を振るようになびき、吹きちぎられた葉が礫《こいし》のようにけし飛ん
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