がある。「子供の足でこれだけ、おとなの足でこれだけ」と、何も言わなくてもいいひとり言を大きな声で言うので困ってしまう。あれはやはり無言で、そうしてもっと暗示的で誇張されない挙動で効果を出さなくてはならないと思われる。引っ返すこの男と、あとから出発した直八と、中間を歩いている子供とが途中で会合することを暗示しただけで幕をおろすという暗示的な手法をとった一方で、こんな露骨なお芝居を見せるのは矛盾である。
 ついでながら、歩幅と同時に歩調を勘定に入れなければ何時間で追いつくかという勘定はできないはずであるが、あの映画に出るあの役者にその勘定ができるかしらと思うとちょっとおかしくなる。

     四 映画批評について

 このごろはそれほどでもないがひところはソビエト映画だとなんでもかでもほめちぎり、そうでない映画は全部めちゃくちゃにけなしつけるというふうの批評家があった。しかしそういう批評をいくら読んでみても一方の映画のどういう点がどういうわけで、どういうふうによく、他方のがどうしていけないかという具体的分析的の事はちっともわからないのであった。こういうふうに純粋に主観的なものは普通の意味
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