を得ないかもしれない。とにかくジミー・デュラントを聞いていると頭が痛くなるだけでちっともおかしくないが、あまりしゃべらないフィールズやローレル、ハーディのほうは楽しめる。
「雁来紅《かりそめのくちべに》」という奇妙な映画で、台湾《たいわん》の物産会社の東京支店の支配人が、上京した社長をこれから迎えるというので事務室で事務成績報告の予行演習をやるところがある。自分の椅子《いす》に社長をすわらせたつもりにして、その前に帳簿を並べて説明とお世辞の予習をする。それが大きな声で滔々《とうとう》と弁じ立てるのでちっともおかしくなくて不愉快である。これが、もしか黙ってああしたしぐさだけをやっているのであったら見ている観客には相当におかしかったかもしれないのである。音がほしければ窓外のチンドン屋のはやしでも聞かせたほうがまだましであろう。それからたとえばまた「直八子供旅《なおはちこどもたび》」では比較的むだな饒舌《じょうぜつ》が少ないようであるが、ひとり旅に出た子供のあとを追い駆ける男が、途中で子供の歩幅とおとなのそれとの比較をして、その目の子勘定の結果から自分の行き過ぎに気がついて引き返すという場面
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