で批評とは名づけにくいような気がする。
 批評はやはりある程度までは客観的分析的であってほしい。そうしてやはりいいところと悪いところと両方を具体的に指摘してほしい。こういう点では、下町の素人《しろうと》の芝居好きの劇評のほうがかえって前述のごとき著名なインテリゲンチアの映画批評家の主観的概念的評論よりもはるかに啓発的なことがありうるようである。
 こんな不満をいだいていたのであったが、近ごろは立派な有益な批評を書いて見せる批評家が輩出したようである。
 以前は何か一つよい映画が出ると、その映画の批評については自分の見解だけが正しくて他の人の批評は皆間違っているかのようにたいそうなけんまくで他の批評家の批評をけなしつけ、こきおろすというふうの人もあったものである。これは、たとえて言わば、花見に行って、この花のわかるのはおれ一人だと言って群集をののしるようなものでおかしい。今はそんな人もないであろうが、しかしよく考えてみると、こうした気分は実を言うとあらゆる芸術批評家の腹の底のどこかにややもすると巣をくいたがる寄生虫のようなものである。そうして、どういうわけか、これは特に映画批評人という人
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