いう女の知恵のない肉塊のような暗い感じ、マダム・ブランシュの神巫《シビル》のような妖気《ようき》などもこの映画の色彩を多様にはしている。
 いちばん深刻だと思われた場面は、最大速度で回る電扇と、摂氏四十度を示した寒暖計を映出したあとで、ブランシュの酒場の中の死んだような暑苦しい空気がかなりリアルに映写される。女主人公が穴蔵へ引っ込んだあとへイルマが蠅取《はえと》り紙を取り換えに来る、それをながめていたおやじの、暑さでうだった頭の中に獣性が目ざめて来る。かすかな体臭のようなものが画面にただよう。すると、おやじはのそのそ立ち上がり、「氷を持って来い」といいすてて二階へ上がる。
 その前の場面にもこの主人がマダムに氷を持って来いといって二階へ引っ込む場面がある。そのときマダムは「フン」といったような顔をして、まるで歯牙《しが》にかけないで、マニキュアを続けているのである。この場面が、あとの「氷をもって来い」でフラッシュバックされて観客の頭の中に浮かぶ。
 この「氷を持って来い」が結局大事件の元になっておやじはピエールに二階から突き落とされて死ぬ事になるのである。
 この摂氏四十度の暑さと蠅取
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