ンチに腰をかけるとき三味線がばたりと倒れるその音だけを聞かせるが、ただそれだけである。ああいう俳諧の「挙句《あげく》」のようなところをもう一呼吸引きしめてもらいたいと思うのである。その挙句のシナリオはいろいろくふうがあるであろう。たとえばごく甘口の行き方をすれば、弦の切れて巻き上がった三味線をちょっと映した次に、上野《うえの》の森のこずえのおぼろ月でも出しそれに夜がらすの声でも入れておいて、もう一ぺん妹とその情人の停車場へ急ぐ自動車を出すとかなんとか方法はないものかと思う。
主役三人姉妹も上出来のようである。苦労にやつれた姉娘とほがらかでわがままな末のモダーン娘との中に立つ姉妹思いのお染の役がオリジナルな表情の持ち主で引き立っている。そうして端役《はやく》に出る無表情でばかのような三人の門付《かどづ》け娘が非常に重大な「さびしおり」の効果をあげているようである。
男役のほうはどうもみんな芝居臭さが過ぎて「俳諧《はいかい》」をこわしているような気がする。どうして、もう少し自然に物事ができないものかと思うのはこの映画ばかりではない。いったいに日本の近代映画の俳優では平均して女優のほうが
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