、臭みもあるかもしれないがやはりこの人らしい妙味はあるであろう。こういう点で細かいくふうをするのがどこか六代目|菊五郎《きくごろう》の凝り方と似たところがありはしないか。もっとも日本人|菊五郎《きくごろう》はくふうを隠すことに骨を折りドイツ人ヤニングスはくふうを見せる事をつとめているという相違はあるかもしれない。
心理的にはかなりおかしいと思われるところでも芸の細かさでたいした矛盾を感じさせないで筋を通して行くといったようなところが一二か所あったようである。
この映画と比較してみると、前条に引き合いに出した「模倣の人生」のほうではいわゆる主演者はあっても「黒鯨亭《こくげいてい》」のごとき意味での独裁的主役は無い、むしろいろいろな個性の配合そのもののほうに観客のおもなる興味がつながれているように思われる。それでたとえば軽い意味の助演者としてのスパークスなどという役者でも決してただのむだな点景人物ではなくて、言わば個性シンフォニーの中の重要な一楽器としての役目を充分に果たしているようである。これに反してヤニングスの場合は彼の「独唱」にただ若干の家庭楽器の伴奏をつけたかのような感じがしな
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