思われた。酒で堕落して行くおやじの顔の人相の変化はほんとうらしい。
 いちばんおしまいの場面で、淪落《りんらく》のどん底に落ちた女が昔の友に救われてその下宿に落ち着き、そこで一|皿《さら》の粥《かゆ》をむさぼり食った後に椅子《いす》に凭《よ》ってこんこんとして眠る、その顔が長い間の辛酸でこちこちに固まった顔である。それが忽然《こつぜん》として別の顔に変わる。十年も若返ったような顔で目にはいっぱい涙がたまっている。堅く閉じた心の氷がとけて一陽来復の春が来たのである。そうして静かにこの一編の終末がフェードアウトするのである。この終末の取り扱い方にどこかフランス芸術に共通な気のきいた呼吸を見ることができるような気がする。

     三 世界の屋根

 この映画で自分のもっとも美しいと思った場面はおおぜいの白衣の回教徒がラマダンの断食月に寺院の広場に集まって礼拝《らいはい》する光景である。だがせっかくのこのおもしろい場面をつまらぬこしらえものの活劇で打ちこわしてしまっているのは惜しいことである。ラマ僧の舞踊[#「舞踊」は底本では「無踊」]の場面でも同様によけいな芝居が現実の深刻味を破壊してし
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