ときのあばれ方はやはりほんとうのあばれ方で寸毫《すんごう》の芝居はないから実におもしろい。
 この映画を見て、自分ははじめて悍馬の美しさというものを発見したような気がする。馬を稽古《けいこ》する人が上達するに従ってだんだん荒い馬を選ぶようになる心理もいくらかわかったような気がする。何よりも荒馬のいきり立って躍《おど》り上がる姿にはたとえるもののない「意気」の美しさが見られるのである。
 この映画の「筋」はわりにあっさりしているので「馬」を見るのに邪魔にならなくていい。それで、この映画は、まだ馬というものを知らない観客に、この不思議な動物の美しさとかわいさをいくらかでも知らせる手引き草として見たときには立派に成効したものと言ってもいいかと思われるのである。

     十二 忠犬と猛獣

 これも動物の芝居を見せる映画であるが、シェパードの芝居は象や馬の芝居に比べて、あまりにうま過ぎ、あまりに人間の芝居に接近し過ぎるので、感心するほうが先に立って純粋な客観的の興味はいくぶんそのために減ぜられるような気もする。
 この映画の編集ぶりは少ししまりがないようである。同じような場面の繰り返しが多
前へ 次へ
全32ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング