的条件が一変して再び犀かあるいは犀の後裔《こうえい》かが幅をきかすようになったとしたら、その時代の人間――もし人間がいるとしたら――の目にはこの犀がおそらく優美典雅の象徴のように見えるであろう。そういう時代が来ないという証明は今の科学ではできそうもない。
犀《さい》について言われることは人間の思想についてもほとんど同じように言われはしないか。
この映画でいちばん笑わされるのは「めがね猿《ざる》」を捕えるトリックである。揶子《やし》の実の殻《から》に穴をあけその中に少しの米粒を入れたのを繩《なわ》で縛って、その繩の端を地中に打ち込んだ杭《くい》につないでおく。猿《さる》がやって来て片手を穴に突っ込んで米を握ると拳《こぶし》が穴につかえて抜けなくなる。逃げれば逃げられる係蹄《わな》に自分で一生懸命につかまって捕われるのを待つのである。
ごちそうに出した金米糖《こんぺいとう》のつぼにお客様が手をさし込んだらどうしても抜けなくなったのでしかたなく壺をこわして見たら拳いっぱいに欲張って握り込んでいたという笑話がある。こんな人間はまず少ないであろうが、これとよく似た係蹄に我れとわが手にかかっ
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