が、考えようによっては、それがわからないために、それのわかる人にはわからないおもしろみもあるであろう。たとえ言葉はわかっても結局パリっ子でない日本人が見たパリっ子はどうしてもパリっ子の見たパリっ子とは同じではないからである。かえって、下手《へた》な活弁を労したり、不つりあいな日本文字のサイドタイトルなどをつけられるよりも、ただそのままにわからぬ言葉を聞くほうがはるかにパリの真実、日本人の見たパリの真実がよくわかるのではないか。それがわかるようにするところに作者の人知れぬ苦心があるのではないか。
「人生謳歌」
グラノフスキーの「人生謳歌《じんせいおうか》」というのを見せてもらった。原名は「人生の歌」というのであるが、自分の見たところではどうも人生を謳歌したものとは思われない。むしろやはり一種のトーテンタンツであるような気がする。実際始めのほうの宴会の場には骸骨《がいこつ》の踊りがあるのである。胎児の蝋細工模型《ろうざいくもけい》でも、手術中に脈搏《みゃくはく》が絶えたりするのでも、少なくも感じの上では「死の舞踊」と同じ感じのもののように思われる。終局の場面でも、人生の航路
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