それを取り上げられて後にまた第二のピストルをかくしに探るところなどは巧みに観客を掌上に翻弄《ほんろう》しているが、ここにも見方によればかなりに忠実な真実の描写があり解剖がありデモンストラチオンがある。やはり一つのおもしろいエキスペリメントを行なって見せているのである。
最後の場面で、花売りの手車と自動車とが先刻衝突したままの位置で人けのない町のまん中に、降りしきる驟雨《しゅうう》にぬれている。あの光景には実に言葉で言えない多くの内容がある。これもその前の弥次《やじ》のけんかと見物の群集とがなかったら、おそらくなんの意味もないただの写真としか見えないであろう。やはりフランス人には俳諧《はいかい》がある。
一編の最後に光の消えたスクリーンの暗やみの中から響く、甘い美しい音楽は、なんとなく「新内の流し」とでもいったような、パリの場末の宵《よい》やみを思わせるものである。作曲者はちがうそうであるのに「パリの屋根の下」の歌のメロディーとどこか似たメロディーがところどころに編み込まれている。その両方に共通なものがおそらく「パリの巷《ちまた》の声」であろう。
フランス語がわからなくて残念である
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