そらくこのようには表現しなかったであろう。概念の代わりに「印象」を、説明の代わりに「詩」を、そうして、三面記事の代わりに「俳諧《はいかい》」を提出したであろうと想像される。
 日本人、ことに知識階級の人々の中にはとかく同胞人の業績に対してその短所のみを郭大し外国人のものに対してはその長所のみを強調したがるような傾向をもつものがないとは言われない。そうしてかなりつまらない西洋の新しいものをひどく感嘆し崇拝して、それと同じあるいはずっとすぐれたものが、ずっと古くから日本にあってもそれは問題にしないような例は往々ある。私が一般に西洋映画に対して常に日本映画を低く評価するような傾向を自覚するのは畢竟《ひっきょう》私もまたこのようなやぶにらみの眼病にかかっているせいであるかとも考えてみる。
 しかし、思うに今世界的にいわゆる名監督と呼ばるる第一人者たちは、いずれも皆群を抜いた優秀な頭脳の所有者であって、もしも運命の回り合わせが彼らを他の本職に導いたとしたら、おそらく、彼らはそれぞれの方面でやはり第一人者でありうるだけの基礎的素質を備えているのではないかという気がする。換言すれば、アインシュタイン
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