とかボーアとか、ショーとか、シンクレア・リューウィスとか、あるいはマチスとか、ラヴェルとかあるいはまたそれほどでないとしたところでたとえば今度空中を飛んで来たリンドバークのような、そういう階級の頭脳をもった人たちがたまたまメガフォンを取ってシャツ一枚になって映画を作っているのではないか。
私は一般平均から見ても、また個別的に見ても、学芸にかけての日本人の頭が少しでも欧米文化国民のそれに劣らないものだと信じて疑わないものである。しかし今までのところでまだ学芸方面において世界第一人者として、少なくとも公認されたものの数のはなはだしく希少なことについては、これにはまたいろいろの「事情」があるようである。
今ここでこの事情なるものの分析を試みるべき筋ではないが、ともかくも、たとえばリンドバークがもし現在の日本に生まれていたら彼は決して飛行家になっていないであろうと同様に、スタンバーグ、クレール、エイゼンシュテインが日本に生まれていたのであったら彼らはまたおそらく映画監督にはなっていなかったであろうと想像される。従って、もしそうであるとしたら、この「事情」が取り除かれない限り、将来日本でほん
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