ただこの映画に現われる多数多様のアジア人種の顔つきや表情は、注意して見ているとなかなか興味がある。毛皮市場や祭礼の群衆の中にわれわれの親兄弟や朋友《ほうゆう》のと同じ血が流れている事を感じさせられ、われわれの遠い祖先と大陸との交渉についての大きな疑問を投げかけられるのであった。最後のクライマックスとして、荒野を吹きまくる砂風に乗じていわゆる「アジアのあらし」が襲来する場面がある。これは自分のようなテンポののろい頭には少しごたごたしすぎているような気がした。ただ錯雑した混乱のあらしの中に、時々瞬間的に映出される白馬のたてがみを炎のように振り乱した顔の大写しは「怒り」の象徴としてかなりに強い効果をもっていたようである。
「西部戦線異状なし」は、今日の映画としては、別にこれといって頭に残るほどのものもなかったようである。ただあまりわざとらしいような芝居が割合に少なく思われたのは成効かもしれない。河畔の営舎の昼飯後の場面が、どこかのどかでものうげで、そうして日光がまぶしいといったような気持ちをだしている。そこにかえって「裏側から見た戦争」というものがわりによく出ているようである。こういう所のお
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