もしろみはやはり映画にのみ可能なものであろう。そうして、言葉の説明でつかまえようとするとふいと消えてしまう不思議なかげろうのようなものである。それでいて、もっとも確実に見る人の心を動かす動力となりうるものである。一口でいってしまえるような効果だけを並べようとした映画はどうもおもしろくないようである。この点で存外ロシア、ドイツのえらい理論家たちがかえってアメリカへんの「純無意義映画」から新しい「火」をもらってくる必要がありはしないかという気がする。
[#地から3字上げ](昭和五年十一―十二月、東京帝国大学新聞)

       二

「モロッコ」という発声映画を見た。まず一匹の驢馬《ろば》が出現する。熱帯の白日に照らされた道路のはるか向こうから兵隊のラッパと太鼓が聞こえて来る。アラビア人の馬方が道のまん中に突っ立った驢馬をひき寄せようとするがなかなかいこじに言うことを聞かない。馬方はとうとう自分ですべって引っくりかえって白いほこりがぱっと上がる。おおぜいがどっと笑う。これが序曲である。
 一編の終章にはやはり熱帯の白日に照らされた砂漠《さばく》が展開される。その果てなき地平線のただ中をさ
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