》の憂鬱《ゆううつ》を表現する室内のシーンでもその画面の明暗の構図の美しさはさまにレンブラントを想起させるものがあるが、この場面のいろいろなヴァリエーションが少なくも多くの日本人には少し長すぎるであろうと思われる。しかしまた一方から見ればまさにこの点が私にはこの映画をしていっそうロシア的ならしむる要素であるようにも思われる。すなわち、こういう遅緩なテンポとリズムを使用することによって、ロシアの片田舎《かたいなか》のムジークの鈍重で執拗《しつよう》な心持ちがわれわれ観客の心の中にしみじみとしみ込んで来るような気がしないことはない。
葬式の行列もやはりわれわれには多少テンポのゆるやかすぎる感じがある。これを「全線」に現われる雨ごいの行列と対照するとやはり後者のほうがより多く動的であるように見えるのである。しかしここでもわれわれが、あるいは私が、テンポのゆるやかすぎると感じるところは、ロシアの農民の多数にはおそらくそうは感じられないであろう。これは私が前に述べたリズム感の基礎をなす「固有週期」といったようなものがロシア農民と日本のファンとで著しくちがうためではないかと思われる。そうしてこれ
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