の上を静かに流れる雲の影のシーンには、言い知らぬ荒涼の趣があり慰めのない憂愁を含んでいるが、ここでは反対に旺盛《おうせい》な活力の暗示がある。そうしてそのあとに豊富な果樹の収穫の山の中に死んで行く「過去」の老翁の微笑が現われ、あるいはまた輝く向日葵《ひまわり》の花のかたわらに「未来」を夢みる乙女《おとめ》の凝視が現われる。これらは立派な連句であり俳諧である。
しかしこれらの一つ一つのシーンは多くの場合に静的であり活人画でありポーズである。そうして、これらの静的なものから静的なものへの推移の過程の中に動的なるものを求め、そうしてそこに「シーンのメロディ」を作っているように見える。このようなことはいわゆるモンタージュの一つの技法であって、何もこの映画ばかりに限ったことはなく、「トルクシヴ」でも「全線」でも始終に見せられて来たことではあるが、ただこの「大地」においては特別にこの一つ一つのシーンの静的な因子が強調されているように感じられたのであった。この静的が時にはあまりに鈍重の感があっていささか倦怠《けんたい》を招くような気のすることもあった。たとえばだいじのむすこを毒殺された親父《おやじ
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